UC闘病記

初めての入院で一番ショッキングだった出来事【UC体験記】

病室のカーテンの写真

どうも、星谷です。

まだ首にカテーテル挿した話と、トイレ行き過ぎて下血チェックがしんどいって話くらいしかしてないので、

「入院生活のエピソードらしいエピソード、もっとないの?」

という声が聞こえてきそうですが、先に言ってしまうと、初めて入院した先での話は 今回で終わりになります。

「オイオイどんだけ書くことないんだよ!」と思われるかもしれませんが、実はあまり間を置かずに別の病院へと転院することになったんですよ。

初入院となった病院には10日ほどしかいなかった

この病院での記憶がほとんど残っていないのには、すごした日数が少なかったことも関係していると思います。

転院の理由は、より設備の整った病院で別の治療法をためすのがよいだろう、と医師が判断したためでした。

投薬治療をしていたのですが、効果がみられなかった為ですね。

たぶん投薬治療で使われていたのはプレドニン

「たぶん」と付けるのは、当時はどんな薬を投与されているのか、よく知らないままに治療を受けていたからです。

当時のことを母に聞いてみました。

医師からの電話

どうやら入院してから数日ほど経った頃に、母の携帯に医師から電話がかかってきた事があるそうで。

内容は、治療のために薬を投与する承諾をもらえないか、というようなものでした。

「ステロイドがどうとか…」と言っていたので(母も記憶が曖昧w)、きっとプレドニン (ステロイド薬の一種) 辺りのことでしょう。

プレドニンは炎症をおさえる効果のある薬で、潰瘍性大腸炎のほかにも様々な病気の治療に使われています。

ここでは詳細は割愛させてもらいますが、ざっくり言うと 効き目のつよい薬って、それだけ使い続けていると副作用がでやすいものも多いんですね。

例えば プレドニンの副作用の一部を紹介すると、倦怠感、肌荒れ、ムーンフェイス (脂肪がつきやすくなり、顔が丸くなる) などがあります。

重度の副作用がでる可能性もゼロではないため、医師はそういった副作用のリスクを踏まえた上で 薬を投与してもよいかどうかを確認したかったのです。

患者本人である私は、そのとき意思表示できる状態ではなかったので、家族に承諾を求めたのでした。

ほぼ記憶なしの入院生活の実態

「記憶ないない言ってるけど、なんで?」と思いますよね。

その理由は、意識が浮上している時間が極端に少なかったからです。入院してからというもの、1日の大半を寝ることに費やしていました。

目を覚ますのは、ほぼトイレと痛み止めが切れたとき。あ、あと顔を洗う時か。

単に眠いというよりは、意識を手放している方が心身に感じるダメージも最小限で済む、という防衛本能からくるものだったんだろうと思います。

極端な感覚 (刺激) は意識をそっちに持っていかれる

すごく痛い!とかすごくかゆい!とか、そういった強い感覚にさらされ続けると、意識が全部そっちに持っていかれて 心身ともにかなり消耗します。

当時の私にとっても、鎮痛剤の効果がきれた時の痛みのつよさは耐えがたいものでした。それはまるで、深い所に沈めていた意識をガッと掴んでむりやり引き上げられるような感覚で。

いちど意識を引き上げられると、痛みが鎮まるまでただ悶えるしかないので、すぐにナースコールを押していました。

そうして再び鎮痛剤を投与してもらい、痛みがやわらいだ時に、また深い眠りにつく――。

その繰り返しでしたね。時間の感覚はなくなっていました。

びっくりするぐらい欲が削がれる

「人って、すごい消耗している時にはこんなにも無欲になれるのか」というのは、ひとつの発見でした。

ただ、もうちょい正確に言おうとするなら、「欲を持つエネルギーさえない」という状態に近いと思います。

只々エネルギーが枯渇していた

欲って一種のエネルギーだと思うんです。気力と体力の、気力の方。

んで。

その欲を持つことに割けるだけの力が、消耗している人には残ってないんです。

痛みに意識が持っていかれる時に、気力も体力のそのどちらもが、同時にごっそり持っていかれてるんですね。

気力は痛みからメンタルを守る時に、体力は物理的な刺激にたえる時に。

枯渇すると どうなるか?

ああしたい、こうしたい、という欲も湧いてきませんでした。私の場合は。

ケータイでネットサーフィンする余裕もなければ、そもそも気合いを入れないとケータイを手に持つ気にもなれない。

その時の私にとっては、「とにかく出来るだけ意識を手放していたい」ということが最優先事項でした。

 そんな中で起こった、今思い出してもヘコむ出来事

たま~に思い出すと、うっかり「うわああ!」と声をだして消えたくなる、この約10日間でいちばん覚えているエピソードです。

粗相をしてしまう+点滴棒をたおすという二重苦

ある夜、寝ている時に下血が漏れてしまったことがありました。まずそこで1ヘコみね……。

それで「ああ、やばい……着替え……」と、ベッドから降りて着替えをとりに行き、急いで着替えたまでは良かったんです。

しかし、着替えたあと私は「トイレに行く前に着替えたものを片づけなければ……」と思ってしまったのでした……。

腹痛もまた始まっていたし、まず先にトイレに行っておけばよかったのに (- -;

その結果、体力ないのに せかせかと動き回ったことが災いして意識が飛びかけてしまいました。

そして、一気にバランスを崩した私は隣の患者さんのベッドの方に、点滴棒を倒してしまったんです。

ああ……思い出すだけでも申し訳なさ過ぎて……!くぅうっ!

同室の方はふたりともご高齢のマダムだったのですが、ほぼ寝たきりだった私は顔を洗うときに挨拶を交わす程度で。

その内のおひとりのベッドに向かって思いきり倒してしまい、「ケガをさせてしまっていたらどうしよう…!」と、頭の中がパニック状態。

しかも、慌てて点滴棒を立て直そうとするんだけど、力がないから出来ないの。そんでもって膝がくずれたまま、筋肉ないから立ち上がれないというね (↑o↑)

「あああ点滴棒けっこう重いのにいいいい!」とますます大パニック起こす私……。

けれど、マダムはとても優しい方でした

ひたすら謝りながらも意識が朦朧としてきている私に、ずっと心配のお声がけをしてくださって……。代わりにナースコールも押してくれたんです。

もう罪悪感と感謝しかない……。

そうして急いでかけつけてくれた看護師さんたちに点滴棒を起こしてもらい、私も抱き起してもらって、事なきを得たのでした――。

ぶっちゃけ、看護師さんが来てくれてからその後の記憶が全くないよ! (泣)

看護師さんが来てくれて安心して意識とんだのもあるけど、申し訳なさに耐えられなくてメンタルを逃避させたかったのもあると思うわ (苦笑)

改めて謝れるまで気が気じゃなかった

その晩は、鎮痛剤でいたみが鎮まったあとも「明日、改めて謝罪しよう……タイミングどうしよう……」とぐるぐる考えてしまい、中々気持ちを落ち着けることができませんでした。

結局その夜は、お体は大丈夫だったのか聞けず仕舞いだったしね…。

幸い倒れたのが足元の方だったとはいえ、とにかく不安でしょうがなかった。

気にし過ぎ、と思われるかもしれませんが、これは私の性格に関係しているところでして (^^;

(それたの性質についての詳細は、これからブログで扱っていく予定です)

ちなみに翌朝、無事改めてお礼とお詫びをすることができました。

「気にしてないから大丈夫よ^^」と言ってくださったので、それを聞いてやっと安心して眠りにつくことができました。

どうやら母にメールで泣きついていたらしい

母から「いちど夜に病院にお父さんと駆けつけたことがある」ということを聞きました。

私が「もうつらい、耐えられない」といったことを連絡していたようです (本人記憶なし)

着替えもないからほしいというような事を言ってたっぽいので、たぶん上の事件?があった時だと思われる。

この件は私にとってメンタルへのダメージが凄まじかったので、弱音をはいていてもおかしくはないですね (苦笑)

おわりに

次のUC体験記では転院先の病院へ移送された時のことをお話ししたいと思います。

色んなネタ?というか濃い話ができるのは、この転院先の病院に行ってからですね。最初はひっどいもんでしたよ…… (遠い目)

何がひどかったのかは、これから書いていきますね。

よろしければ、またお付き合いくださいませ (^^)

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